元からHATRAのリミナルウェアに不信感を抱いていた斉藤奏(静岡県在住美人エステティシャン。美術教育を9年間受けた。運送業の父親を持つ)がHATRAのデザイナーの文章を読んでキレています。これを書いているわたし(タピ岡)もキレています。
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“現在までにHATRAが行き着いたのは「liminality」(リミナリティ)というキーワードです。2021年秋冬シーズンから「リミナル・ウェア」(LIMINAL WEAR)の展開を始めました。「リミナリティ」は文化人類学の領域で「境界状況的」と訳されます。(中略)
レベッカ・ソルニットの『ウォークス──歩くことの精神史』(東辻賢治郎訳、左右社、2017)を読むなかで、「リミナリティ」という言葉を知り興味を持ちました。人はひとつの場所に根を張って暮らしているとどうしても社会的なあり方が硬直していきます。「旅」という行為には、その凝り固まった自我や場所との癒着を時間をかけて引き剥がしていく効能がある。そして戻ってきた時も、以前とは異なるひとつ上のレイヤーで、さまざまな関係性を構築し直すことを可能にさせる。かつての巡礼にはこうした効果があったという分析に、非常に共感しました。
https://www.fashionsnap.com/article/hatra-ashida-hiroshi/
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斉藤:
「「旅」という行為には~可能にさせる」までがあまちゃんの考えだと思う。色んな意味で。HATRAがこの暴力的な資本主義の中で運用されてるじゃん。資本主義と旅というものを重ねた時に、今一番各地を旅しているのは、移動しているのは、大型トラックの運送業者だと思う。でも3日前(2025年9月17日)にも首都高でトラック運転手の死亡事故があったように、トラックって死亡事故率がものすごく高い。トラックというものが引き起こしたんじゃなくて労働環境が引き起こしている。長時間同じ姿勢で運転するとか、不規則な生活リズムになることとか、工場・物流拠点での手積み手下ろしを無賃で強要されたりとか。わたしの父親もトラック運送業を続けていた結果、心臓病になった。資本主義が引き起こした「旅」によって命を奪われているひとがなんにんもいる。父親の知り合いも橋から転落して死んでニュースになった。資本主義の「旅」はそんな楽観的に「戻って」これるようなものではない。このひとがどんなデザイナーか知らないけど、あなたは旅に出て戻って来れる確信があるからその言葉を選べたのかもしれない。運転手以外にも「旅」を強要される方がいる。一方で、このひとは希望を感じさせるような調子で「旅」を使っている。「旅」と「戻ってくる」ということを。でも、そこにすごく切迫感のなさを感じた。自分は命を落とさないだろうなと思っているという風に感じてしまう。自分語りになっちゃうけど、父親に弁当を持たせて送り出すときに、いつも「帰って来るだろうか」と本気で思う。小さい頃から。ドアが閉まる瞬間に。そういう恐怖心みたいなものをわたしは「旅」に感じる。だから、このひと、ずいぶん愉快やねって(笑)。簡単にいうと、旅がうんちゃらかんちゃらいってあんたが設計した服を、死と隣り合わせで作って運ばされてるひとがいるんですわ。そういうひとたちの前でも同じこと言えんのか? わたしにはお前の言葉は届かねえ! 結局、ブルジョワ向けなんだよ! 以上です。
~終~

製作・著作:あせんぶり