奏(かなで):
ポン子(仮名)は警察が大嫌い
神様になったってよく言えたな
警察は明らかに統合失調症の患者をたくさん見ている。警察に被害届を出したとき、「病気です病気」が聞こえていた。
警察はなぜ保護するのかわからない。ポン子さんがマイクロビキニで胡坐をかいていたときも。
黄金に変化、神に近くなるという感覚というのはなかったが、自分が変わるのはわかる。震災のときにその感覚があった。みんな泣いてるから「守らなきゃ」ってなった。「高い建物あるから大丈夫だよ」
自分がこわいという感情がどこにも無くなってしまった。それを黄金に変化したと言っているのかも。
神とか黄金とかいうものではない。ぷつっと切れる感覚はある。ぷつっと、なんだろうね。一本線。自分が生きてきた線がぷつっと切れて、前世になる。新しい線が始まる。それを繰り返してる。
タピ岡:
その震災の頃から?
奏(かなで):
その震災の前から。親の事をぱぱ、まま、と呼ばなくなった時から。そのころからその人たちは力光(仮名)とポン子であり、枠組みとしては保護者だけど、ひとりひとりでいきてる、みたいな。
美術の先生とかも震災のとき泣いてたんだよね。そこでもぷつっと切れて。泣いてる人を抱きしめたりだとか。
やけにきびきびと動いて。そういう状態のことを神に近くなりましたって。でもそれをそこまで尊大になれないな。
というのも、わたしはそれらを小さい頃から大人のように振る舞わなきゃいけないことを楽しんでいたんだよね。
楽しむというか、周りを見下していた。この人は割とポジティブに自分が高いところに行ったって書いているけど、
わたしは10歳でこれだけできるのに、周りはなんでこんなしっかりしてないんだみたいな。この程度のことをなぜできないんだ、なぜ泣くんだ、みたいな悪さがあった。だから、周りが黄金に変化するというか、周りが劣化していくように感じる。自分は変わらなかった。周りの見え方が変わる。
なんか気持ち悪いなー。これをどの時点で思っているのかが気になる。これを10歳の時に思っていたならまあわかる。
でも今でもそれを思っているのなら反論したい。それは危ういんじゃないの?それはあまりにもケアする側とされる側が
断絶されすぎというか。ケアをしているということを、自分がケアをしているんだ、ということに目が行きすぎというか。
いや、自分に目をやるの大事だと思うけど、でもー。精神障害を抱えている人との間で、自分が神に変化するのを聞いて、
なんか気持ち悪いなーと思う。相手は精神障害で、自分はそうじゃなかった。それだけのはずなのに、自分だけが神に変化するのはなんか気持ち悪いなってなっちゃった。相手にもそれ言える?って感じ。
[読み進める]
奏(かなで):
鍵括弧つかってもキ〇ガイって言葉は使わないでほしいんだよなあ。
タピ岡:
その心は?
奏(かなで):
当時の鮮烈な目線を使うために必要な言葉かもしれないけど、うーん。(いい淀み)
別に、わかりやすくかいているのかなあ……。だって、キ〇ガイって単語、これまでに何回も出てきてるよ。今読んだだけでも2回出てきてるよ。
タピ岡:
今読んだところで?
奏(かなで):
そう、今読んだ数ページで。そのキ〇ガイって言葉を使わなくても、母親への視線とか、不快感とかいうものを表せると思うんだよな。鍵括弧つきのキ〇ガイとしても、理解したいとか味方でありたいと思うなら、本を出すというときにわざわざキ〇ガイって単語使わなくてよくない?って思うんだよな。私なら嫌だけどなー。全国に売られる本で自分の母親をキ〇ガイって書くの。いくらか内面化してる気がするんだよな。自分は正常で、おかあさんはキ〇ガイ。なんかそういう雰囲気を感じちゃうな。
タピ岡:
さっきのケアする者とされるものの延長の部分があると思った。お母さんはキ〇ガイ。自分は正常。
奏(かなで):
編集者みたいだけど、統合失調症の母親を持ってってタイトル。統合失調症ってピンポイントで入ってるじゃん。
統合失調症の周りのひとが読むって想定で、キ〇ガイの連発はきついでしょ。そういう偏見の眼差しっていうのは、その偏見の眼差しが向けられることを表すものはキ〇ガイじゃなくてよかったんじゃないかな。
酷い言葉だからね、キ〇ガイは。
これはね、私の個人的な体験があったのかもしれないけど。前も言ったけどさ、またすごい個人的な話になりますけど、ポン子は目の前の尾島(仮名)さんの家に嫌がらせを受けているという妄想が私が生まれる前から何十年もあって。わたしは小さい頃それを真に受けてて。尾島のじじいとばばあが、わざと音を出してる。車をバンとしめて嫌がらせをする。風呂に入るとビンを割る。小1のときになに「それひどい、キ〇ガイだよ」って言った。そのときぶったたかれて「そんな言葉つかっちゃだめ」っていわれた。精神分裂病(当時の名称をそのまま使用)の診断を受けた母にそう言われたことは大きなことで。とんでもないことを言ってしまったということを思った。人に向けてはいけない言葉なんだよなって。私の知らないどこかで向けられていたのかもしれない。私の知らないところで妄想の中で。幻聴の中で。だから、わたしはこの言葉の扱いはとても気を付けなきゃいけないなって思う。引っかかる。
タピ岡:
鍵括弧付けたからって使っていいレベルじゃねえぞ!
奏(かなで):
(笑)
おい、編集者なんとかしろよ!
[読み進める]
奏(かなで):
最後の終わりに読むんだけど
[朗読]
タピ岡:
わたしはあんまり好きじゃない
奏(かなで):
わたしもw オナニー見せられてんのかこれ
てか、治らない病気が二つあるって、これ不治の病なの??
おい、編集者なんとかしろよ!
「この本の中で私がいかにゆがめられて育ったのかを示せたと思います。わたしの育ちは客観的に見て過酷でしょう。歪んだ自分を受け入れて生きることは努力でどうにかなるものではありません。」
不幸自慢やめろよ!
え、まって。はじめにってなんて書かれてあったっけ。ちょっと待ってください。
「この本を読むことで、どうして一万年生きた子供にならなければいけなかったかを知っていただく機会になるかと思います」
「私の願いはただ一つ、精神障害者を差別しないでほしいということです。」
差別しないでほしいなら、キ〇ガイとか言う言葉使ってんじゃねーぞ!編集者なんとかしろよ!
本音と建前がぐちゃぐちゃになってんなって。あんま器用な人じゃないんだよな。
いやでもちょっとわかるなー。交互に出てきちゃうんだろうな。書いてる最中に交互に。守ってほしかったという自分と守ってあげなきゃならなかったという自分と。その二つじゃないかもしれないけど、その自分が出たり引っ込んだりしてるから一貫性が無いように見えるんだよな。「精神障害者を差別しないでほしい」という体で描いた文章にしては自分可哀想が
おおすぎる。いろんな自分が出たり引っ込んだりしながら一冊書き上げたのかな。あんまり自分かわいそうかわいそうみたいな話し好きじゃないんだよな。好きな人いねーよなー。だって、みんな一番自分がかわいいし、自分が一番かわいそうじゃん。人のこと可哀想とか言っている場合じゃねえんだよな。
タピ岡:
[メモする音]
奏(かなで):
めっちゃカタカタいってるw 実質寿司打じゃん