この文章はずうちゃんの不安がたくさんの安心になることをねがって書かれた
1.( ^ω^)
わたしとずうちゃんとの間には、ひとつの「事実」がある。それはふたりの関係性における事実だ。ずうちゃんは、その事実がひどく悲しいと言う。そのせいで不安になるのだ、と言う。そして、それはわたしをひどく後ろめたくさせるものでもある。わたしとずうちゃんが物理的に遠く離れているとき、その事実はずうちゃんの不安を際限なく増幅させる。その不安がスマホを通じて、DMで、音声通話で伝えられるたび、やはりわたしは、自分の後ろめたさをじくじくと感じている。それは、わたしのスマホを勝手に覗き見るというような、ずうちゃんが100:0で悪いようなときであってもそうなのだ。
2.見捨てられ不安
見捨てられ不安が強いのだという。ずうちゃんは自分が無価値だと感じている。価値がない、あるいは、「悪いのは自分なのではないか」。そんな思いがどうしても拭えないようだ。ずうちゃんの気分が落ちてくると、その感覚は顕著になる。うつ病の典型的な症状である、妄想。それも「罪業妄想」と呼ばれ得る類の症状があらわれ始める。「わたしが悪かったんです」「生まれてこない方がよかった」「関わるべきじゃなかった」「ごめんなさい、ごめんなさい」……。
見捨てられ不安が強いのだという。自分に価値がないと思っているからこそ、見捨てられたり、愛想をつかされたりするのではないかと疑う。「わたしだったら、ぜったいわたしと付き合いたくない。こんな面倒くさいやつ」とずうちゃんは言う。
3.続き
見捨てられ不安について、わたしの元カノが、以前ツイッターであるリツイートをしていたことがある。「うんちの移動費用、うんちん。」これは酷い・・・・・・。くだらない。くだらない文面と反するように、俺の便意はくだってくる。モノを移動させるとカネがかかる。それはうんちであってもそうなのだ。物流、運賃、見捨てられ不安。それらはどこか似ていて、いつも暴力的な流れなのだった。
4.続き
↑3.の太字部分はずうちゃんが書きました。まんこ(閑話休題)。
見捨てられ不安について、わたしの元カノが、以前Twitterであるリツイートをしていたことがある。それは「嫌われたくない相手に『嫌われたくない』と言うと、かえって嫌われる(だから「嫌われたくない」ということは言わない方がいい)」という内容のつぶやきだった。
リツイートされた主張は、わたしが普段から感じ、実践していたことだった。わたしは誰かに「嫌われたくない」と思っていたとしても、当の相手に「嫌われたくない」と言ったことはそれまで一度もなかったし、実際、言うまいと思っていたのだ。そもそも、わたしは「そんなことを言うことに意味はない」と感じていた。それというのも、自分に対する誰かの感情や評価なるものは、わたしにとって、どうにかできる範囲をはっきりと超えているからだ。どれだけ「嫌われたくない」と願ったとしても、何かの拍子にその誰かに嫌われることは常にありうることだ。わたしは、最終的に成就しえないものに向かって強い感情を向けること、そしてそれを言葉にすることに意味を見出せなかった。強い感情を持ち続けようとすることはとても疲れる。まして、成就不可能な事柄への強い感情は、わたしにとってはっきりと徒労なのだった。
5.続き
また、「嫌われたくない」と当の相手に言うことは、無意味であるばかりか、相手をひどく苦しめうることですらある。だって、それは感情の強要だから。「嫌わないで」なんて言われた方は、「いや、あなたを嫌う可能性は今後0ではないですよ(真顔)」とは返しにくい。せいぜい、やんわりと「嫌わないよ」と返すのが関の山だ。自分のままならない感情を特定の方向に強要されることは、やはりとてもつかれる。つかれるようなことをしてくる相手とは距離を取りたくなるのも仕方がないかもしれない。つかれることが続けば、つかれさせてくる相手を「嫌いになる」ことだってあるかもしれない。「嫌われたくない」ということは、かえって「嫌われる」端緒になるかもしれないのだ。わたしは端的に、感情の強要はされたくない。自分がされて嫌なことは、基本的には誰かにしない方がいい。だからわたしは、「嫌わないで」とは言うまい、と思った。
6.続き
それにもかかわらず、わたしがリツイートの内容に対して抱いたのは、否定的な感情だった。なぜそのときに否定的な感情が生じたのかは、正直、うまく整理できていない。だからこうして書いてみている、という節がある。自分が普段からやっていることが、改めて言語化されたとき、「あれ、なんか違うな?」となることは結構ある。文字起こしされることで、自分がスルーしていたものが初めて意識できる範囲に入ってくるからだ。
今回のことで言えば、それは「嫌われたくない」と言わざるをえないひと、言わざるをえない状況のことである。リツイートの内容に同意することは、わたしにとって、これらの要素を考慮外とする主張に同意するように感じられた。それは、とてもよくないことだった。自分が普段からその規範に沿って行動していたくせに、それを明文化する段になって初めて、わたしはその規範がとてもよくないことのように思ったのだ。そして、その規範に違和を表明することは、これからそれを遵守し続けることよりも、大事なことだと思ったのだ。
だから、元カノに行った。わたしは元カノに嫌われたくなかった。小さな反論のつもりで、わたしは元カノに「嫌われたくない」と言った。後になって、わたしたちは別れた(わたしが振られた)。大筋あのリツイート通りかもしれないが、ことの細部については、元カノに聞いていないのでよくわからないままだ。
7.続き
ずうちゃんはよくわたしに「見捨てないで」「嫌わないで」と言う。ずうちゃんはわたしができるだけ言わないようにしてきたことを、しばしば口に出す。そのたびにわたしは、感情を強要される苦しみを感じる。と同時に、うまくいえなかった反論を思い出しては、「苦しみだけじゃないよなあ」と考えている。

8.精神科に行こう!
おれのなまえはちんぽこ猛々しい太郎。
よろしくお願いいたします。
精神科に行こう?
ふっ
笑わせるな。
いくぞ
デ ス ゾ ー ン !
▲
by 鬼道ゆうと
↑の太字の文章はずうちゃんが書きました。
ちんぽ(閑話休題)。
9.精神科に行こう!
ずうちゃんと一緒に住み始める前、わたしは大阪住みで、ずうちゃんは茨城住みだった。物理的に遠く離れていたので、その頃のわたしとずうちゃんのやり取りはもっぱらDiscordを介しての通話とDMだった。ずうちゃんと話をする中で分かってきたのは、ずうちゃんはわたしが思っていたよりもうつの症状が強いということだった。
わたしも抑うつもちだったのだが、ずうちゃんはわたしよりもかなりひどいうつの症状が出ているようだった。わたしとずうちゃんが付き合い始めたころ、ずうちゃんは大学院を卒業して賃労働(フルタイム)を始めたのだが、これがずうちゃんの体調を大きく損ねていた。
10.続き
ずうちゃんは寝れていなかった。時間外労働が多くて睡眠時間が削られている、というよりは、賃労働のストレスから来る不眠がひどかった。一日の睡眠時間は平均2~3時間で、元々ロングスリーパーであるずうちゃんの体力は日々ガリガリと削られていった。
ずうちゃんはさらに食べられなくなっていた。その日食べたものを聞けば、セブイレで売っているタコとブロッコリーのミニサラダだけ、というような具合で、何も食べていない日すらあった。そのうち、ずうちゃんの体重は30キロ台まで落ちてきていて、胡蝶しのぶの全体重に迫る勢いだった。

ずうちゃんがそんな状態だったので、わたしは常日頃から「一回精神科に行ってみたら?」と伝えていた。昔、自分がメンクリで出してもらった薬が結構効いた経験を思い出しつつ、わたしはずうちゃんに精神科を受診するように勧めたのだった。
11.続き
でも、ずうちゃんは中々精神科に行かなかった。その理由は、精神科に対するずうちゃんの根強い不信感によるところが大きかった。ずうちゃん自身は、それまで精神科を受診したことはなかったのだが、ずうちゃんは母親の通院の付き添いで、精神科には何度も訪れていたのだった。ずうちゃんの母親は統合失調症で、もう20年以上も精神科に通院し続けている。そして、これが一向によくならない。症状がよくならないのに、ヤブ医者は昔の薬を変えずに処方し続けるだけだった。病状が悪化していく母親を見て育ったずうちゃんは、「精神科に行っても意味がない」と実感ベースで思っていた。
12.続き
ずうちゃんが精神科に行きたがらなかった理由として、精神科に対する不信感の他に、金銭的な問題があった。精神科への通院は、継続的にお金がかかる。しかし、ずうちゃんにはお金がなかった。どれくらいお金がなかったかというと、18歳で親の借金の連帯保証人になったり、大学の受験費用を賄うために殺虫剤工場で働き、化学物質で手がシワシワになったり、大学の学費を捻出するためにセックスワークをしたり、大学のトイレットペーパーをメルカリで転売したりするくらいにはお金がなかった。
↓↓↓↓↓ ずうちゃんが働いていた殺虫剤工場の木版画(ずうちゃん作) ↓↓↓↓↓

お金に困り続けてきたずうちゃんは、効果があるかどうかわからない精神科に高い医療費をかけることに強い抵抗感を覚えていたのだった。
13.続き
だけど、ずうちゃんの余裕はなくなってきていた。調子が悪いとき、ずうちゃんはわたしと長時間の通話やDMをして気を紛らわせていたが、その頻度が明らかに高くなってきていた。それまで2日に1度くらいのペースだった2~3時間の通話は、ずうちゃんのうつがひどくなってからは、ほぼ毎日になった。通話の内容も、ずうちゃんのカウンセリング的な要素が濃くなってくる。わたしはもともと、ひとの話を聞くのをそれほど苦にしないのだけれど、それが毎日・長時間となると、体力もさすがに底をつくようになる。実際、わたしは疲れて有給を取ることが多くなっていた。
ずうちゃんはわたしの負担を気にしていた。そしてそのことが、ずうちゃんをはじめて精神科に向かわせた。自分のために精神科に行くつもりがなかったずうちゃんは、わたしの「カウンセリング」の負荷を少しでも軽くしようと、大枚をはたいて、グーグルレビューで高評価が多い精神科を受診した。
↓↓↓↓↓ ずうちゃんが精神科を初受診したときのまんが(ずうちゃん作) ↓↓↓↓↓
